炭と珈琲

七輪焙煎:炭と珈琲が織りなすドラマ

珈琲の魅力:珈琲と哲学は似ている

バッハ、バルザックヘミングウェイ

珈琲好きで知られた著名人はたくさんいますが、物理学者の寺田寅彦もその一人。

「コーヒー哲学序説」と題されたエッセイは、まさに珈琲讃歌。

珈琲への熱い想いがつづられています。

なかでも、珈琲に「哲学」との類似点を見出し、「宗教と酒」のグループと対峙させ比較している点はとても面白いです。

珈琲と哲学の類似点

寺田寅彦は、研究に行き詰った際に「コーヒー茶わんの縁がまさにくちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである。」

と、珈琲がいかに頭脳を明晰にしてくれるかを述べています。

そして、このよう珈琲が「官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする」点が哲学に似ていると分析しています。

対する宗教と酒は?

一方、宗教と酒は「人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる」点が共通項。

宗教と酒が原因となって人を殺める事例は多いものの、哲学やコーヒーによって犯罪に駆り立てられる人はほとんどいない。

その理由として、宗教と酒は、信仰的、主観的。

哲学と珈琲は、懐疑的、客観的。

のためではないか、と推測しています。

哲学や珈琲は、感覚が鋭くそして思考がクリアな状態をもたらすため、自分を見失うようなことがない。宗教や酒と大きく異なる哲学とコーヒーの美点です。

浅煎りの珈琲のもたらす鋭敏化、透明化

珈琲が「官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする」。

これを、私は七輪焙煎をするまで知りませんでした。

それまで透明で軽快な浅煎りコーヒーの良さを味わったことがなかったのです。

20代前半にスペインで深煎りの洗礼を受けてから、私にとって珈琲の美味しさは深煎りにありました。気分を高めてくれたり、反対に落ち着かせてくれたりはするものの、感覚の鋭敏化や洞察や認識の透明化とは程遠いものでした。

七輪焙煎用に手に入れた浅煎り向きの生豆のおかげで、まったく未知だった珈琲の世界を体感することができたのです。

おわりに

珈琲哲学。

コーヒーと哲学を同類項でくくる大胆さ。

しかし、とても説得力のある学説です。

数ページの序説で終わってしまっているのがなんとも惜しい。

このあと、どんな展開になっていったのか。

本論を読んでみたかったです。

<参考資料>寺田寅彦1993「寺田寅彦随筆集4」岩波書店

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